ホテルグランフェニックス奥志賀ができるまで
《田島和彦自伝》

8. 自然は最大の教育者

握手して別れた一行が遭難し、何人もの人が死んだという経験もある。山岳登攀にのめりこんでいた20歳ぐらいの時、場所は有数の岩場で知られる北穂高の滝谷。時期はもう10月10日を過ぎており、運がよければ出会えるという、紅葉と雪と緑が同時に山を彩る風景を見たくて出かけたのだった。岩盤がもろく危険が大きい滝谷も、この日はよく乾いて順調に登ることができ、素晴らしい絶景も堪能できた。帰ろうとする時に東大の山岳部が滝谷に入っていくのに会ったので、

「素晴らしかったですよ、岩が乾いていますから。怪我しないように気をつけてください」

と言って、別れた。

ところが、天候は一変してその晩は猛吹雪となり、残念ながら東大の部員をはじめ多くの人命が奪われた。じつはこの時の山岳部のキャプテンが、のちに某有名企業の社長となる田沼さんという方で、「必ず戻ってくる」とほかの部員に言い置いて、北穂高へ救援を呼びに行った。が、悪天候はおさまらず、北穂の人々に「二重遭難になるから」と押しとどめられてしまった。田沼さんはそののち、キャプテンだった自分が約束を守っていれば、みんなを助けられたのでは、との後悔の念にさいなまれたといい、今も部員たちの墓参を欠かさない。これは20年ほどのちに、ある新聞のコラムにご本人が書かれていた話を偶然読んで、初めて知ったことだ。

本当に、山ではさまざまな経験をした。そして青年時代のこれらの経験が、私の人生のベースを作り上げたと思っている。自然は最大の教育者であり、これにまさる教師はないというのが、私の持論だ。

人はなぜ危険も顧みずに山に登るのだろうか。それは登りきった時のなにものにも代えがたい喜びがあるからだ。ただ苦しいだけ、危険なだけなら山に登るはずもない。達成した時の喜びがあり、それを思えば達成するまでの苦しさも苦しいとは感じなくなるからこそ、人は山に挑戦し続ける。一番つらいのは最初の一回。それをクリアすれば新しい世界が、喜びが待っている。

それがどうだろう。今、最初の一回目も達成せずに逃げ出してしまう者のなんと多いことか。勉強もしかり、仕事もしかり。何もせず何も達成しないうちに五月病になり、あるいは会社を辞めてしまう。

そんな時代だからこそ、自然に学びたいものだ。自然はどんな者も受け入れ、時には美しくやさしく、時には厳しく激しい姿を私たちに見せる。そして分け隔てなく試練を与えてくれる存在でもある。そういう意味でも、自然は理想的な教育者だと思う。