ホテルグランフェニックス奥志賀ができるまで
《田島和彦自伝》

20. プロフェッショナルのすごさを知る

帰国前後の伊勢丹は、それまで百貨店があまり相手にしていなかった若年層の男性をターゲットにするなど、時代を先取りした他とはひと味違う展開を見せていた。私はヘンスリー社では営業を担当していたが、個人客相手に小売りする百貨店業はまったく勝手が違う。ありがたいことに、伊勢丹では「田島和彦研修計画」と称して、売り場から総務から経理から、1週間ずつ各部門を回り、1カ月半がかりで百貨店業務を習得するプランを立ててくれていた。

初めての「売り場」にはさすがに緊張した。大変だったのは「いらっしゃいませ」の挨拶だ。最初のひと言がなぜか出せない。こんなにできないものだとは思わなかった。今でも私はことあるごとに挨拶の難しさ、大切さを若い者に説いている。挨拶ひとつで印象が変わる。挨拶できない人間は、100の力を持っていても50になってしまうのだ、と。

研修に出たのはコート売り場だった。そこで成績がトップの女性販売員は、1日で30着ほども売っていた。そこで密かに志したのが、「この女性よりもたくさん売ってみせよう」という目標だった。まず、在庫を全部チェックして、色とサイズを調べ上げた。いつも把握していれば、的確にお客様に品物を勧めることができるし、いちいち在庫をチェックしに行くというムダをしないですむ。売り場にはアルバイトの人がいたので、お客様に納得して買っていただいたら、その後のレジへの入金はアルバイトに頼み、こちらは接客に専念した。

結果は1日に33着。ライバルの女性は32着。枚数では勝ったかに見えるが、私は時間を惜しんで食事も倉庫でサンドイッチをかじりながらの結果だ。一方彼女はきちんと昼休みをとって、しっかり食事をしていた。こちらの完敗だ。

やはりその道にはすごい“プロフェッショナル”がいるものだと感心しきりだった。