ホテルグランフェニックス奥志賀ができるまで
《田島和彦自伝》

23. 青天の霹靂の会社売却話

会社をメーカーとして軌道に乗せていこうと、苦心を続けていた72年のある日、伊勢丹の小菅社長から耳を疑う話が聞こえてきた。

「君の親父が会社を売ろうとしている。レナウンにだが、君は知っているのか?」

知っているもなにも、まるで寝耳に水だった。

当時のスポーツウェア業界は、デサントをはじめアシックスやゴールドウィンなどの競合メーカーがひしめいており、フェニックスはそれらに大きく水を開けられていた。

競合他社に差をつけられ、経営は苦しい。それなのに専務となった息子は、父から見れば無謀と思える海外生産や工場建設に手を出している。今のうちに売ってしまうのが一番安全だ。そう思ったのだろうと思う。

経営者としては、無責任きわまりない話だ。社員だって規模も社風もまったく違う大会社に行ったら、苦労するのは目に見えている。1年したら誰一人レナウンには残っていなかったなどということになりかねない。私にしてみても、苦労してメーカー化を進め、なんとかなりそうだという道筋が見え始めてきたところだった。承服できるわけがない。

当然父とは大喧嘩になった。とはいえ、売ると考えて水面下で動いていたぐらいだから、父が今さら気持ちを変えてやる気を出すわけもない。とにかく売却話を阻止して、あとは私自身がなんとかするしか道はなかった。