ホテルグランフェニックス奥志賀ができるまで
《田島和彦自伝》

28. NASAのDr.クズネッツとの提携

これまでに私は数多くの契約に関わってきたが、オーガスタだけでなく、それぞれにドラマがあった。だからこそ、ビジネスはおもしろい。

マスターズブランドでゴルフウェアに参入を果たす一方で、フェニックスでは「スポーツウェアを科学する」というキャッチフレーズのもと素材革命を進めていた。79年には他社に先駆けてゴアテックスをスキーウェアに導入し、81年にはまったく新しい、先進的な機能性素材SP27の採用に踏み切った。

NASAの宇宙服に採用されている、熱をメタリック素材でリフレクトさせて保温機能を高めるという手法がある。この手法を使い、中綿にメタリックを組み込んで開発されたのがSP27だ。薄いのに保温性能が高く、スキーウェアにはうってつけだ。フェニックスはこのSP27の国内独占販売権を取得したのだが、やはりこうした機能性を売りにするものについては専門的な評価が必要だと考えた。そこで、NASAで宇宙服を開発していたDr.クズネッツと82年に技術アドバイザー契約を締結。素材の評価や改善点への提言を受けることにした。

しかし、Dr.クズネッツは公務員だ。きちんとNASAの了解をとらなければならない。NASAの弁護士と会って、交わした契約書を見てもらった。弁護士が言うことには――

「1m高く飛んでも、1m低く飛んでも、公務員規定に引っかかったことでしょう。でもこれなら飛び続けられますよ」

こうしてDr.クズネッツのお墨付きを得たSP27は、技術開発が育んだ機能性ウェアの歴史にさらに新しいページを開いた。

新発田にテクニカルリサーチセンターを立ち上げ、KAPPAブランドのウェアを発売した翌83年には、フェニックスは売上高100億円を突破。バブル直前の右肩上がりの経済のなかでも、目覚ましい発展を見せていくことになる。