ホテルグランフェニックス奥志賀ができるまで
《田島和彦自伝》

36. 中国傘下に入ったフェニックスの副会長に

08年4月、フェニックスは中国の大手アパレル「中国動向」に買い取られた。産業再生機構が支援を終了してからわずか2年半の出来事だった。オリックスが子会社化して経営陣を送り込んで以降、再建がうまく進んでないことは耳にしてはいたが、こうした事態になるとは信じられない思いだった。

中国動向が再建のために5億円の増資を引き受けるものの、売却価格自体はなんと1円だという。手塩にかけた会社が1円で売られるような状態になってしまった、そのことがなによりショックだった。

やり方が間違っていてこういう状態になったのだから、やり方を変えなければならない。そもそも機能性を追求するスポーツウェアは、素材も縫製も一般的なアパレルとはまったく異なる特殊な存在で、やり方を知っている者は私を含めて数少ない。加えて中国動向は、カジュアルウェアを中心とするアパレルメーカーで、スポーツウェアには初の進出だという。

フェニックスが生き残り、発展することを願う一心から、私から中国動向にアプローチし、同時にやり方を探っていた中国動向からもアプローチがあって、私はフェニックスの副会長・顧問の任に就くことになった。その後、ひと通りの手を尽くした14年の12月、フェニックスの副会長・顧問は退任すると、それ以後はホテルの経営に専念し、住まいのある東京と奥志賀を行き来している。

身近に山々を感じる日々が、再び私の元に戻ってきた。